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2019年9月 6日 (金)

石橋地蔵尊(世田谷区下馬)

日大ラグビー部事件で世間は随分沸騰したが、最近その話題を聞くことは皆無になった。メディアは少し野仏でも眺めて自分たちを振り返ってもらいたいものである。当時、マスコミが殺到した場所のひとつが、日本大学危機管理学部スポーツ科学部のある三軒茶屋キャンパスであった。実はその近所に石橋地蔵尊がある。

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江戸時代には、道の発達とともに石橋による架橋が増加、洪水の時、人間の生き死にや村の存否に関わる石橋には魂が宿ると信じられ、新設や修復の普請に際しては、永久に壊れないようにと祈り、供養塔が盛んに建てられた。この石橋地蔵尊もその一つで、昔は岩橋地蔵尊とも言われた。石も岩も同じようなものである。砂は学問分野では砂は1/16㎜以上2㎜以下とされ、2㎜以上のものは石とされているが、石と岩は分類されていない。ちなみに1/16㎜以下は土である。

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この石橋地蔵尊、舟型光背型の地蔵立像で、宝暦4年(1754)の造立である。「奉納庚申供養石橋三所建立講中」と書かれている。すぐ近くに蛇崩川の暗渠があり、この道は薄橋で蛇崩川を渡っていたので、その橋と近くの橋の守護のために建てられたのであろう。この道は江戸時代の地図にもある道である。

周辺は下馬引沢村でも「原」という地域であったが、関東大震災以降多くの移住者があり人口が急増した。つい100年前まではのどかな農村地帯だったのである。

場所  世田谷区下馬2丁目15-7

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