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2019年9月13日 (金)

烏山・下山地蔵尊(世田谷区南烏山)

甲州街道(旧道)脇に佇む庚申塔と地蔵尊がある。 傍のバス停の名前は烏山下宿。 甲州街道には烏山宿という宿場はなかったが、東の高井戸宿と西の布田五宿の間にあったのが烏山村で、街道筋には商家もあった。この辺りが下宿で、ここから西に進み古烏山川を渡ると仲宿、その先松葉通りの西側が上宿と呼ばれる。江戸時代初めは中宿が、後期には上宿が最も栄えていたという。

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甲州街道が開かれたのは江戸時代の初期、徳川家は海から攻められた時の避難場所を山梨と決めていたらしく、その目的で甲州街道を整備した。多くの大名は東海道や中山道を使って参勤交代したが、甲州街道で参勤交代したのは、諏訪の高島藩、高遠藩、飯田藩の三藩のみ。それ以外では京都から新茶を将軍に献上するお茶壷道中くらいだったので、道幅は狭いままだった。それでも、江戸後期になると富士講などが流行し、甲州街道を使う民衆が増えてきたので十分商売になったという訳である。

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一番右にある大きな唐破風笠付庚申塔は並ぶ4つの石仏の中で最も古く元禄13年(1700)のもの。高さは161㎝もある。 立派な笠の下には角柱型の庚申塔。 青面金剛像に邪鬼、猿は正面と左右面にそれぞれ1匹ずつ描かれている。「奉供養庚申 烏山村」の銘があり、台石には多数の願主名がある。その横の地蔵立像は正徳2年(1712)の造立。烏山講中の銘の他に無数の願主名が彫られている。

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左側の2基はどちらも庚申塔である。右側の笠付角柱型の庚申塔は宝永元年(1704)の造立。青面金剛像と三猿の図柄で、烏山村と9名の願主の銘がある。左の小さな庚申塔は山状角柱型で、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。享保18年(1733)10月の造立。「烏山村同行」「奉納庚申供養塔」の銘と共に8名の願主。 ここでようやく下山家の名前が3人入ってくる。下山家は江戸時代後期の地頭名主で、世田谷区史の大家である下山照夫氏はその末裔だろうと私は思っている。近年まで活動しておられたが、昭和2年生まれだからまだお元気かどうか気になっている。

場所  世田谷区南烏山4丁目1-13

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