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2019年10月22日 (火)

久我山地蔵堂の四仏(杉並区久我山)

久我山地蔵堂を訪れた時、ちょうど葬儀の真っ最中であった。 かなり遠慮気味に地蔵堂を拝見した。 この地蔵堂は久我山墓地の入口脇にある。久我山の最初の家だった、大熊家、秦家、小作家の人々の墓所でもある。その昔ここには光明寺という寺があったらしい。墓地の南側にあったと言われ、中野の宝仙寺の末寺であったが、明治の初め頃に廃寺となった。廃仏毀釈のあおりを食らったのだろうか。

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万年塀に久我山墓地と書かれたプレートがあり、その下にも「光明寺跡」と書かれているが、無くなってから150年も経っているのにすごいものである。この墓所に至るには、久我山駅前の南北の道路を北に進み、「うえみち」の次の路地を左に、そしてすぐに右に入る。この辺りの道のいきさつについては六地蔵のところで書くつもりである。

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地蔵堂の奥に4基の石仏が並んでいる。いずれも杉並区の登録文化財である。一番左にあるのは、舟型の地蔵菩薩立像。これは庚申塔である。右に「奉寄進庚申供養(寄は立の下に可と書くのが彫られた文字でママと読む)」とある。造立年は寛文5年(1665)11月。其の右の丸彫の地蔵菩薩立像は享保4年(1719)11月のもの。久我山村の大熊喜右衛門が願主。

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右の2基のうち丸彫の地蔵立像は宝永5年(1708)11月の造立。念仏供養同行廿六人とあるので、念仏講の造立であろう。施主は「久ヶ山村 名主蔵本佐兵衛」とある。久我山三家の名でないのは珍しい。 右端の舟型の地蔵立像は、寛文10年(1670)10月の造立。 これは日待講の造立らしく、右側に「奉寄進日待供養」とある。 施主は久ヶ山村の8名の名前がある。

もとは久我山のあちこちにあったものを原位置から移されてここに集められたもの。江戸時代の前期から中期にかけてのものがきれいに残っており、当時の久我山村の信仰が分かる石仏である。

場所  杉並区久我山4丁目50-8

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