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2019年10月17日 (木)

久我山稲荷神社の庚申塔(杉並区久我山)

久我山駅の西側、井の頭線と神田川の間の段丘の縁に久我山稲荷神社がある。古来からの久我山の鎮守だが、創建などは不詳。神社の境内に上る階段があり鳥居を見上げる階段の脇に祠に入った庚申塔がある。古くから信仰を集めてきた道祖神的な庚申塔で、西向の塞ノ神として大切にされてきた。正月明けに行われるどんと祭も塞ノ神の行事である。

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久我山稲荷神社は明治40年(1907)に天祖神社を合祀して現在の形になった。庚申塔が塞ノ神である別の条件を考えてみると、江戸時代はこれより裏手(北側)は中高井戸村、南側は久我山村で、村境でもあった。そういう境において塞ノ神の祭りは行われる。

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稲荷神社は南向きだが庚申塔は西向である。そのため別名で「西向庚申」とも呼ばれる。この庚申塔には砧の木槌が奉納され、養蚕の神とされていた。砧(きぬた)というのは布地を打って艶を出すのに使う石や木の台の総称。布地を打つ行為そのものも砧という。おそらくは絹をたたく→きぬたではなかろうか。

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駒型の庚申塔は高さが70㎝程、青面金剛像に三猿の図柄。 右側に「奉造立庚申供養二世安楽攸」(攸は~するところ、の意)、左側に造立年があり、元禄16年(1703)11月4日。下部には施主の名が8名ある。堂宇脇には立て札があり、「庚申様御祭神 猿田彦大神」と題している。西向のことや砧の槌の奉納のことなどが書かれているが、養蚕業の発展祈願の占める割合が大きいようである。

場所  杉並区久我山3丁目37-14 久我山稲荷神社

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