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2019年10月 6日 (日)

奥沢大音寺の庚申塔(世田谷区奥沢)

奥沢と石川町の境は呑川。 呑川右岸にあるのが大音寺である。厳密には北から目黒区が伸びていて、大音寺と呑川の間の一角は目黒区緑が丘になっている。この区割りは関東大震災以降、それまで奥沢村と池上村の境がなぜか目黒区緑が丘になってしまったためである。ただ、大音寺のある区画とその北の奥沢中学校の土地は標高が20m前後と高く、呑川周辺は10mほど低い。大音寺は川の支流が形成した岬の突端にあるので、境内には石段を登っていくことになる。

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大音寺はとてもきれいな境内である。創建は享保年間(1716~1735)と伝えられ、室町時代にはこの台地は吉良家家臣の砦があったところで、見張り小屋があり野武士がホラ貝を吹いて大きな音を鳴らしていたことから大音山と呼ばれ、それが寺の名前になったという。また奥沢という地名は九品仏川が呑川に流れ込むあたりを指し、奥深い沢だったことから呼ばれたという。江戸時代以前は野武士が駆け回るような野原だったのだろう。

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山門を入ると左の車道の脇に石造物が並んでいる。一番左が庚申塔、造立年は元禄11年(1698)霜月(11月)とある。板状駒型で青面金剛と邪鬼が描かれているが三猿は見当たらない。武刕荏原郡奥沢村の銘と、願主15人が刻まれている。

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その右隣りにあるのが念仏塔。 造立は文政4年(1821)3月で、当時は弘法大師信仰が盛んだったのだろう。正面には「南無大師返照金剛 木食観世」とあり、光明講のもの。側面などには各地の願主世話人の銘がある。 洗足村、衾村、馬引沢村、野沢村、深沢村、稲毛領梶谷村、稲毛領作延村、奥沢村、石川村など、かなり広い地域である。多摩川の西側も含まれているのはかなり交流があったのだろう。

場所   世田谷区奥沢1丁目18-3

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