幡ヶ谷子育地蔵尊(渋谷区幡ヶ谷)
国道20号線はかつての甲州街道。 新宿から幡ヶ谷、笹塚を経て、高井戸近くまで、国道の上に中央自動車道に連絡する首都高速5号線が走り、昼なお暗い道になっている。その甲州街道の南側、幡ヶ谷駅の250mほど新宿寄りのビルの中に頑丈な檻に入った幡ヶ谷子育地蔵尊がある。
それはそれは厳重な監獄のような檻で、かろうじて隙間から中の石仏を覗くしかないのが現状。毎年4月に例大祭があるのでその時なら中の石仏を拝顔できるかもしれない。
地蔵堂の主役の子育地蔵尊は一番右にある丸彫の地蔵立像。 造立年は貞享3年(1686)と伝えられる。地蔵信仰は江戸時代に入りその他の民間信仰と合わせて各地で起こった。 地蔵菩薩というのは、釈迦入滅の後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの56億7千万年の間の無仏の時代、大衆を救うために世に現れる菩薩で、それを有像化したものがお地蔵様である。当時は地蔵講がとても盛んだったようだ。
右から二番目には題目塔がある。「南無妙法蓮華経 平等利益」と彫られている。 主に法華経の経典に関わる供養塔である。この供養塔、高さは164㎝もあり、堂内でも最も大きいもの。 造立年は、元禄16年(1703)6月とある。
右から3番目にあるのが「勇地蔵」とされている。若干小ぶりな丸彫の地蔵菩薩でいい顔をしている。鉄格子の隙間からさらに覗き込むと、この勇地蔵の左の壁近くに庚申塔らしきものがわずかに見える。渋谷区の史料を見てみると、ここには2基の庚申塔があるらしい。一基は高さ112㎝の駒型で、青面金剛像、三猿、二鶏の図柄。正徳5年(1715)の造立。もう一つは高さ99㎝とこれも大きめで、青面金剛像、三猿、二鶏の図柄も同じ駒型のもの。造立年は正徳3年(1713)である。 これらの庚申塔もぜひ見てみたいのだが、困難であった。
場所 渋谷区幡ヶ谷1丁目1-8
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