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2019年10月31日 (木)

駒込妙義坂子育地蔵尊(豊島区駒込)

江戸時代の日光街道(日光御成道)は東大本郷校舎の北にあった駒込追分で中山道と分岐して北上、現在の駒込駅から北は当時の下駒込村に入る。この下り坂が妙義坂と呼ばれてきた坂で、坂の西にある妙義神社が名前の由来。今は4車線の大通りだが、江戸時代の切絵図は段々の印があり、階段状の道だったことがわかる。坂の途中には切絵図を見ると、「神明社 三峯地蔵堂」とあるので、当時から日光御成道のランドマークだったようである。

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現在の堂宇は戦災で焼けた後に再建されたもの。説明書きによると、寛文8年(1668)に地元の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵と堂宇を建立したとある。戦前は70坪ほどの広い敷地に多数の供養墓石が祀られていたが、戦後駒込診療所となり、地蔵たちは北区上中里の城官寺に移されているという。

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説明書きの下には江戸時代の切絵図があり、駒込から染井辺りの当時の様子がよく分かる。地蔵堂の先の坂下には谷田川(別名 谷戸川)が流れており立会橋という橋が架かっていた。谷田川の下流は藍染川と呼ばれ、谷根千に暗渠道が残る。谷田川の源流はソメイヨシノを生んだ染井霊園付近。中央左寄りにある「染井村植木屋多し」とある。

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堂宇内の中央にあるのが寛文8年(1668)の地蔵立像である。いろいろな時代をくぐりぬけ350年人々に守られてきた。右の像は聖観音像で、正徳2年(1712)の造立。戒名らしきものも書かれているので墓石だったのではないだろうか。左側には新しいおかっぱ頭のセーラー服の二人の少女像の供養碑があるが、昭和8年(1933)にこの辺りで交通事故に遭い亡くなった11歳の少女二人の霊を祀っている。車というものが珍しかった時代に犠牲になった少女たちの無念は今も続いているのだろうか。

場所  豊島区駒込2丁目6-14

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