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2019年11月19日 (火)

郷土資料館前庭の石仏(後列)

杉並区郷土資料館の前提にある石仏はこの後列まで。 後列左にあるのは庚申塔、その脇に富士信仰塔、五輪塔の供養塔、少し後ろに御嶽信仰碑と並んでいる。

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左端の庚申塔は、唐破風笠付角柱型の塔で高さは109㎝ある。正面には青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており、右側に「寛政4年(1792)2月 上高井土(戸)下宿講中」と彫られている。上高井戸下宿は現在の環八より100mほど西から調布側が上宿、そこから環八辺りまでが下宿という。従ってほぼ環八周辺の講中によるもの。以前は、甲州街道と環八の交差する上高井戸一丁目交差点の北側にあり、後に井の頭線と神田川の間の高井戸東1-18の西部土木事務所(現在の杉並区立こども発達センター)に移されたのち、平成3年(1991)に郷土資料館に移設された。

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隣りにあるのが「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と彫られた石柱。造立年は安政3年(1856)。木花開耶姫命は富士浅間神社の祭神。富士講に関係しているのだろうか。この石碑は久我山3-14からの移転なので、久我山の大熊家のものかもしれない。興味深いのは安政2年(1855)10月2日の安政大地震の記録があることだろう。「御山振崩」とあるので山体崩壊を表しているようだ。安政地震は複数の地震をそう呼ぶらしく、東海、南海、八戸沖などが連続した時代。政治的には日米和親条約(1854)から日米修好通商条約(1858)の間に日本が天災と黒船でどうしようもなくなった時代である。

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その脇にある五輪塔は左端の庚申塔と同じく、甲州街道・環八の北側から、井の頭線沿いの西部土木事務所、そしてここへと移転してきたもの。造立年は寛永18年(1641)とあり、江戸時代初期のものである。「妙法蓮華経 慈父春北」とあるのは、父を供養する為に息子が建てたものらしい。

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ひとつ後ろに立つ自然石の石碑は、御嶽信仰塔で、嘉永5年(1852)の造立。これも久我山の大熊家から移設されたものである。「小御嶽石尊大権現 大天狗 小天狗」とあるので、山岳信仰、殊に青梅の御嶽神社と相州の大山阿夫利神社への信仰塔と言われる。昔の日本人は自然物、その中でも特に山を信仰の対象にしてきた。富士山は言うまでもなく、白山、御嶽山、丹沢の大山、妙義山、筑波山、など枚挙にいとまがない。石の向こうから、「六根清浄」と声が聞こえてきそうである。

場所  杉並区大宮1丁目20-8

 

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