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2019年11月22日 (金)

豊栄稲荷の庚申塔群<1>(渋谷区渋谷)

江戸時代以前の渋谷は渋谷川の流れる原野に近いものだった。その頃の渋谷の中心は現在の金王八幡神社があるところで、神社はかつての渋谷氏の居城(館)の地に建っている。金王の由来は渋谷金王丸(1141~1185)という武将の若い頃の名前だが実在したかどうかは不明。神社の宝物館には当時の渋谷城のジオラマがある。金王八幡と関係の深いのが隣接する豊栄稲荷で、稲荷よりも庚申塔の方が有名かもしれない。

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豊栄稲荷神社の境内には合計13基の庚申塔が保存されている。その由来を記した石碑がある。

『ここに建てられている庚申塔は、江戸時代、中渋谷村、中豊沢村、宮益町など、金王八幡神社を中心とする地域に住んでいた人々が建てたものである。その頃人々は大変盛んであった庚申信仰を受入れ、近隣相集い講を結んで61日目毎に廻ってくる庚申の日に謹行、飲食、談笑、しばし日頃の労苦を忘れて一夜を過ごすのが娯楽の少ない当時としては無上の楽しみであった。これを庚申待という。

庚申信仰の功徳作法などを述べた庚申縁起という本に三年一座即ち1年に6度、3年で18度の庚申待を終ったならば、平素よりも御盛物などを沢山あげて塚を築き塔を建てて盛大に供養するようにと書いてある。この辺の講中の人々も恐らくその教えに従ってこれらの塔を建てたものである。

年代は延宝2年(1672)から元文4年(1739)までのものがある。元はそれぞれ村や町中に建てられていたが、都市化の早かった渋谷では明治末から大正時代にかけて渋谷川畔にあった田中稲荷の社殿の周囲に順次集められ戦災を蒙るまでそこに並べられていた。戦後区画整理の実施と共に、田中稲荷は金王八幡神社南側の地に移り、豊栄稲荷と名を改め、庚申塔は八幡神社の社殿横に移され、今日に及ぶ。

今回金王八幡神社鎮座880周年記念の為、社殿社地の整備に際し豊栄稲荷は崇敬会諸氏のご尽力で立派な社殿が再建され、庚申塔も旧渋谷村民の歴史的文化遺産として手厚い保護のもとに次の世代に受け継がなければならないと、有馬康男、安藤善啓氏をはじめ多くの方々の努力で当社地に還った。この昔の姿を語りかけてくれる貴重な遺物が立派に整備されたことは大変素晴らしい言で、これからも大切に見守って行きたい。(後略)

昭和47年12月 庚申懇話会 渋谷区道玄坂2-5-8 横田甲一 安藤善啓 建立』

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まずは右端の3基。右端は駒型の庚申塔で、高さは65㎝。造立年は不詳。青面金剛像と三猿の図柄である。二番目は駒型の文字塔で大きさは隣りと同じ65㎝。これも造立年は不詳。中央に「為庚申供養」とある。下部には11名の願主銘があるがほとんど読み取れない。三番目は高さ85㎝の駒型の立派な庚申塔。彫りも見事で、青面金剛像の両側には二童子が居て、金剛は邪鬼を踏みつけている。その下には三猿が描かれている珍しい図柄である。

場所  渋谷区渋谷3丁目4-7

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