永福寺墓所裏口の庚申塔(杉並区永福)
永福寺は曹洞宗の寺院。大永2年(1522)の創建だが、文禄2年(1593)、元文3年(1738)、昭和20年(1945)の三度焼失したものの貴重なものは多くが残っている。最後の火災は戦争だから仕方ないとして、江戸市中よりもはるかに火事による延焼は少なかったのだろう。
墓地の裏口、別当である永福稲荷神社の側の門脇に三基の石塔が屋根付きのスペースに祀られている。傍には区が史跡に建てる説明柱が立っている。左は見た目通りの庚申塔だが、中央の五輪塔も庚申塔で区の指定有形文化財となっている。右は地蔵菩薩立像である。
左の庚申塔も大型のもの、欠損はあるが笠付の角柱型で、青面金剛、二鶏、三猿の図。造立年は天和元年(1681)11月である。江戸時代前期の庚申塔は石の質がとてもいいので保存状態もいいのだろう。高さは105㎝ほどある。
中央にあるのが指定文化財の五輪塔型庚申塔。杉並区で最古の庚申塔で、造立年は正保3年(1646)とある。高さは137㎝。 武刕多東郡養福寺村の銘がある。多東郡というのは江戸時代以前の区割りで、鎌倉時代から室町時代は東京の西部は多西郡と多東郡に分かれていた。多東郡は多摩地区に加えて杉並区、中野区、世田谷区の一部を含んでいた。
この五輪塔型庚申塔の説明版には、「正保三年銘 五輪庚申供養塔は、区内最古の庚申塔で、江戸初期の庚申信仰の普及状況を示す貴重なもの。また五輪塔型式の庚申塔も極めて珍しく、中世の名残りを示す-武州多東郡養福寺村-という地方銘を刻んだものとして稀である。この庚申塔は当初、永福1-27にあった修験儀宝院(廃寺)にあったが、昭和30年頃からこの地に安置されている。」と書かれている。
一番右の舟型の地蔵菩薩立像は元禄4年(1691)の造立。自然風化は進んでいるが、保存状態はそれほど悪くない。裾脇に両側合わせて16人の願主銘が彫られている。こちらは念仏講中のものだろうか。3体とも江戸時代初期前期のもので、しばらくの間見入ってしまった。
場所 杉並区永福1丁目25-10
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