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2019年11月27日 (水)

東福寺の石仏<2>(宇田川地蔵/渋谷区渋谷)

東福寺に立寄って驚いたのは、渋谷の街から消え去ったものがここに保存されていることだった。西武デパートの間から始まる井の頭通りは東急ハンズ前を通り、NHKの南に繋がる。途中パルコの方に上る道があり、オルガン坂と呼ばれているが、そころNHK方向に少し進んだあたりに「宇田川地蔵」があった。現在はセブンイレブンがある辺りである。

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この宇田川地蔵は最初は宇田川橋のたもとにあったと言われている。南の宇田川は東急東横店前の宮益坂下で渋谷川に合流する支流で、109の付近から下流はは東急本店通り沿いから、ハチ公前交差点に流れていた。もう一本の北の宇田川は宇田川交番前で井の頭通り沿いを流れ宮下公園で渋谷川に合流していた。明治時代にはこの南北に流れが分かれるところ(宇田川通りと夢二通りの交差点・渋谷BEAMの角)には水車もあった。私はここに架かっていた橋が宇田川橋ではないかと推測している。東福寺では立派な堂宇を建ててここにあった地蔵3体を保存している。

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宇田川地蔵は明治40年(1907)頃に宇田川橋のたもとから、開発のために西武デパートB館裏(現在のロフトの前辺り)に移設され、そこも開発が進んだために、ハンズの先の宇田川町10-1に昭和38年(1963)に移転させられた。そしてついに平成25年(2013)にここ東福寺へ移転となったというのが経緯である。中央の大きな地蔵が宇田川の子育地蔵と呼ばれていたものだが、実はこの地蔵は戦後の昭和37年(1962)に造られたもの。

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右側に建つ摩滅の激しいものが元禄元年(1688)に造立された昔からの子育地蔵である。戦災で傷んだと伝えられる。もう一つの地蔵については情報がほとんどない。宇田川町の場所には地蔵堂の境内があり、庚申塔も並んでいたがそれらも東福寺に来ている。なお、宇田川地蔵の裏手にある区役所と神南小学校はかつて陸軍衛戊(エイジュ)刑務所だった。そのためこの辺りには陸軍の杭(境界標)などの遺構が残っている。渋谷の街の変遷があまりに激しすぎるのだが、それだけにこの世のものもあの世のものも入り混じっている感が街には漂っていると感じるのは私だけだろうか。

場所  渋谷区渋谷3丁目5-8

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