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2019年11月25日 (月)

豊栄稲荷の庚申塔群<4>(渋谷区渋谷)

豊栄稲荷の庚申塔のラスト。しかしよくもまあここに渋谷の庚申塔を集めたものだと感心する。江戸時代は上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村があり、金王八幡よりも都心側はほぼ大名屋敷と武家屋敷が立ち並ぶ地域だった。だから港区や千代田区には野仏が少ない。村人が居なかったのだから。村から見たら武家エリアへの入口が渋谷だった。

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さて11基の庚申塔の左端の2基である。大きいほうは高さが71㎝と平均的なサイズ。駒型で青面金剛像に三猿の典型的な図柄。造立年は元文4年(1739)11月で、16名の願主名がある。いちばん左端は、鷹さ58㎝とこの並びの中では最小。図柄も青面金剛像のみで、中渋谷村と願主9人の銘がある。造立は享保5年(1720)11月。

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鳥居脇の植込みに壊れた庚申塔のかけらがある。説明板に13基の庚申塔とあったのはこの2基を含めたのだろうか。但しどちらも渋谷区の史料には記述がない。右は板碑型の庚申塔の上部、「庚申供養」とあり、延宝2年(1674)10月の造立年も読める。一方左側は上部が欠損しており、下部の三猿のそれもまた激しい欠損で判りにくいがかろうじて三猿の足だろうと判る。その下には願主名が7名彫られている。二つが上下ということはないだろうが、その可能性を捨てることはできない。そうすると12基になってしまうが。

場所  渋谷区渋谷3丁目4-7

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