永昌寺門前の庚申塔(杉並区永福)
さて、永昌寺門前の石仏、6基のうち左3基は庚申塔である。明治時代の地図を見ると、この寺院の並びはなく、甲州街道から永福寺に向かう道を挟んで玉川上水の北側の東に永昌寺、西に龍泉寺が相対していただけであった。玉川上水から神田川へ永泉寺坂の下り、この坂名の由来になった永泉寺は現在はなく、明治43年(1910)に永昌寺と合併して消えた。
永泉寺に伝来した玉石も永昌寺に合祀されたが、この玉石は、玉川上水の永泉寺付近工事の際に土中より発見され、その光沢の中に薬師像が浮き出たと伝えられる。永泉寺は工事の無事竣工を念じ、この玉石を供養したことから、近隣の信仰を集め、これに因み丸薬も作られた。
左から3番目の笠付角柱型の庚申塔は珍しいデザインをしている。小さく彫られた青面金剛と一猿が正面にあり、側面にそれぞれ一猿で計三猿となる。造立年は延宝6年(1678)10月と比較的初期のもの。武州荏原郡松原村の銘がある。
左から2番目は享保17年(1732)3月造立の駒型庚申塔。 青面金剛像に邪鬼・二鶏・三猿が描かれており、「武刕多摩郡下高井土村」とある。江戸時代は下高井戸と上高井戸が半月交代で宿場をやっていた。一番右は元禄11年(1698)11月の庚申塔である。青面金剛に三猿の図柄で、武刕多摩郡下高井土村とこれも高井戸の戸が「土」になっている。石工の都合だろうか。
場所 杉並区永福1丁目6-15
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