法華墓の石仏<前編>(杉並区松ノ木)
杉並区には鎌倉街道が南北に走っている。一説には大宮八幡以北の鎌倉街道は中野富士見町から中野駅方面にメインルートがあったようだが、サブルートも何本かあったと言われる。松ノ木を南北に走る狭い都道427号線は江戸時代には村の幹線道路になっていた。鎌倉街道ほど古くはないがそれに近いものがあるようだ、松ノ木の「法華墓」は分かりにくい場所にあるが、以前もワンブロック南の辻にあったと伝えられる。南北の道路が二手に分かれて五日市街道に接続していた時代の東側の道である。以前の場所は北の馬橋村と南の堀ノ内村の村境だった場所である。
法華墓(ホッケバカ)というのは、左にある墓石群が法華衆(日蓮宗)のものであるため、この土地を地元で法華墓と呼び始めたという。右の3基が古いもので、奥の3基は少し新しい馬頭観音。 これだけそろうとなかなか壮観である。右端から見ていくと、まずは聖観音菩薩立像である。聖観音は数多くの観音のベースであり、これから変化して如意輪観音、千手観音、十一面観音などに発展する。概ね左手に蓮華を持つ。
この聖観音立像は元禄4年(1691)8月の造立でm、念仏講18人が願主となっている。これがワンブロック南の松ノ木2-27から移設されたものらしい。真ん中は、享保8年(1723)10月造立の地蔵菩薩。和田村之内松之木道行十四人とある。まさに地元の念仏講中のものである。左側(右から3基目)は宝永5年(1708)10月造立の駒型庚申塔。高さは110㎝と立派なもの。願主は11人とある。
場所 杉並区松ノ木2丁目36-14
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