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2019年11月 2日 (土)

祖師谷観世音堂の石仏(供養塔編)

祖師谷観世音堂は千川の右岸にあるので、住居表示は成城になるが、成城という地名は成城学園という学校に由来する極めて最近付けられた地名で、何百年もの間、この辺りから東は祖師谷と呼ばれてきた。この辺りから西は江戸時代は入間村だったので、下祖師谷村にとってはこの境内は村境でもあったのだろう。祖師谷の地名はその昔この辺りに地福寺という寺があり、その境内に祖師堂があったことから呼ばれるようになったというのが一説。地福寺は現存しないが、近くに地福寺坂と呼ばれる坂がある。坂のページでそのいきさつを書いた。

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仙川に架かる大石橋(だいしばし)の西側に広い境内に小さな社殿が二つ、正面が観世音堂、左が薬師堂である。観世音堂の起こりは承応3年(1654)で、半世紀後の元禄13年(1700)に再建とあるので、焼けてしまったか何らかの事情があったのだろう。その後祖師谷村内にあった薬師堂が明治期にこの境内に移設された。元は榎の安穏寺の元に築かれた堂宇である。

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境内に入ると、左側の盛り上がった塚状の小山の裾をなぞるように二十数体の石仏が並んでいて圧巻である。大半は墓石のようであるが、こうして丁寧に並べてあると、江戸時代の石の文化が見えてくる。江戸の石仏は江戸城の築城や改修で余った丹沢や伊豆の石を使って、石工が広めた一面がある。だから石のクオリティが抜群にいい。それに比べ明治以降の石仏はほとんど風化してしまっているものが多い。だいたい関東ローム層にはこういう石材は存在しない。

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石材の話はさておいて、まずは一つだけ離れた角柱型の立派な石塔である。これは供養塔で、造立は宝暦9年(1759)。正面には「大師編照金剛」、左面には「奉供養大乗妙典六十六部」とある。右面は造立年と「武刕多摩郡世田ヶ谷領下祖師固谷村」とあるので、地元の下祖師谷村のもの。 裏には「従是 上祖師ヶ谷村安穏寺迠六町廿間 廻沢村東覚院迠拾二町」とあるから、安穏寺までは約700m、東覚院までは1300mということになる。観世音堂から安穏寺までは1㎞ほどあり、東覚院までは1.5㎞程度、20%程度の誤差はありそうだがまあそんなものかと思う。

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塚の小山に沿った石仏の中で一番手前にあるのは上の写真の石橋供養塔。造立年は享和2年(1802)2月とある。大石橋を架けた時のものだろうか。 右には「東 世田ヶ谷道」、左には「西 ふちう道」、裏には「南 二子道」とあるので、おそらく大石橋のほとりにあったと考えられる。他にも多数の石仏があるのだが、墓石以外を紹介したい。

場所  世田谷区成城9丁目1-6

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