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2019年12月 9日 (月)

永安寺門前の石仏<右側>(世田谷区大蔵)

永安寺は天台宗の寺院で、元は鎌倉の大蔵ヶ谷(鶴岡八幡宮の東側の滑川の流域)にあったが、戦国時代の戦火で廃れていた。その鎌倉の地と同じ地名のこの地に延徳2年(1490)に鎌倉の永安寺に因んで建立され、以降大蔵の菩提寺のひとつとなった。本堂前には日本の銀杏の巨樹があり、樹齢は数百年と言われる。

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寺の境内から墓所に向かうところに六地蔵があり、その裏手に数百基の無縁仏の墓石が並んでいる。この中にいくつかは庚申塔なり地蔵菩薩なり、墓石でないものも混じっていそうだがまだ調べていない。そんな古刹の入口の山門がなかなか渋くていい。その山門前には左右にいくつもの石仏が並んでいる。

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まずは右側から紹介したい。門側から、最初は馬頭観音塔である。造立年は文政8年(1825)6月と馬頭観音としては割と古め。右面には施主名が井山七良兵衛と彫られている。続いて左から二番目は、敷石供養塔で造立は寛政7年(1795)3月とある。大蔵村と彫られており、願主は石居市右エ門、石工は六号の永井佐兵衛。三番目は真ん中にあたるが、この地蔵立像がよく分からない。首から上が一度折られた形跡があり、悪ガキの仕業か、戦災かは不明。

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右から二番目がこの列では最も大型の石塔。比較的新しく明治33年(1900)2月造立の石橋供養塔である。「高津村二タ子(二子)」とあるので川崎市の高津にあった二子村のものだろう。江戸時代は現在の国道246号の川崎側周辺は二子村であったが、東京側には二子村は存在しなかった。これも多摩川が暴れ川である所以である。最後に一番右は馬頭観音塔。大正9年(1920)7月のもので、願主は井山伊三郎とある。

供養塔は種類も多くブログに書いたり書かなかったりするが、いろんな情報が含まれていることがあってこれもまた興味深い。

場所  世田谷区大蔵6丁目4-1

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