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2019年12月21日 (土)

円融寺と石仏(目黒区碑文谷)

碑文谷八幡宮の北東200mばかりのところに円融寺がある。とても広い寺院で幼稚園を含めると表から裏まで250mほどある。この円融寺は目黒不動や祐天寺に押されてあまり知られていないがなかなかの名刹である。山門と釈迦堂がとくに素晴らしい。創建は平安時代の仁寿3年(853)で慈覚大師が天台宗法服寺として開山。

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山門の向こうに見えるのが釈迦堂。山門の両側には東京都の指定文化財である黒仁王像が対に立っている。作られたのは永禄2年(1559)で江戸時代には庶民の人気が高かったという。山門(仁王門)も同時期のものかと思われる。天台宗の法服寺は、弘安6年(1283)に日蓮の高弟日源上人により日蓮宗に改宗され法華寺となった。従って江戸時代は法華寺で、江戸後期の天保5年(1834)から再び天台宗に戻り円融寺と改名した。

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釈迦堂は都内で2番目に古い木造建築。この建物は国の指定重要文化財になっているが、さりげないたたずまいである。室町時代初期の建築とされる。鎌倉の寺院を訪ねたかのような錯覚に陥る風情がある。その釈迦堂から西に進むと墓所になるが、その手前にいくつかの石仏が並んでいる。

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右のほうの小さい石仏は墓石、その中でも大きな舟形光背型の如意輪観音像は宝暦14年(1764)の廻国供養塔である。六十六部廻国とあるが、この六十六部というのは四国八十八ヶ所とか、西国三十三ヶ所というように寺が決まっているわけではない。日本全国から比較的自由に六十六ヶ所を決めて巡るのである。なかなか興味深い。

中央の大きいものは金竜地蔵と呼ばれ、三界万霊の供養塔で、明治27年(1894)のもの。左の堂宇らしきものに入っているのが出世地蔵尊とあったが、どうも寛文10年(1670)と古い物らしいが、文字が良く読めなかった。墓所に行くとまだまだいろんな石仏があるのだが、きりがないのでこれくらいにしておいた。

場所  目黒区碑文谷1丁目22-22

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