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2019年12月31日 (火)

交通危除地蔵境内の石仏(中野区白鷺)

中杉通りの西武新宿線の踏切を南に渡るとすぐに妙正寺川を渡る。この橋を八幡橋という。すぐ南東に鷺宮八幡神社があり、これが鷺宮の地名の由来である。康平7年(1064)に前九年の役に勝利して東北を平定した源頼義が建立とされ、当時周りは鬱蒼とした林で鷺の巣が集まっていたことから鷺宮大明神と呼ぶようになった。その周辺の土地として鷺宮という地名が生まれたと言われる。

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交通危除地蔵そのものは新しく、昭和12年(1937)に造られたものだが、説明碑によると日本で最初の交通安全の地蔵尊だという。ただ願主が交通事故防止安全会地蔵講とあり、今も地蔵講が生きていることは素晴らしいと思う。この境内には、近くにあった石仏や道標が集められている。

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まず庚申塔が1基。駒型で青面金剛像に邪鬼、三猿が描かれたもの。造立年は寛保2年(1742)9月で、元あった場所は踏切の北の方、新青梅街道の手前の三差路(鷺宮4丁目415というから、現住所は鷺宮4丁目44-1)。「奉造立庚申尊像 武州多摩郡上鷺宮村 講中男女15人」と書かれている。施主は篠家で、この辺りの名家である。

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その隣にある地蔵2体だが、右の大きい方は庚申塔と同じ場所にあったもの。享保16年(1731)10月の造立。台石に「奉供養地蔵大菩薩 念仏講中為二世安樂  願主 篠勘三郎 他信男信女67人」とあるので、なかなか大きな地蔵講だったようだ。元の場所には現在三角形の敷地にビルが建っているが、以前は普通の民家兼店舗が並び、地蔵と庚申塔があったのは少なくとも昭和中期だろう。70年前の国土地理院の地図にはこの三差路に立像のマークが付いている。

場所  中野区白鷺2-48-1

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