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2019年12月 7日 (土)

関口のお地蔵様(杉並区成田東)

阿佐ヶ谷付近の青梅街道と高円寺から南西に分岐する五日市街道の間には、かつて馬橋、関口、白幡、尾崎、田端の5村があった。江戸時代末期はほぼ成宗村に含まれた地域。 関口は五日市街道が青梅街道から分かれてすぐにある集落。昭和初期には東京府豊玉郡杉並町で、関口の北には杉並があり町役場があった。その場所は現在の杉並区役所である。

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松ノ木で二手に分かれた道は西側は善福寺川の水田地帯を回り込み田端本村(田端神社の辺り)に、東側の道は北西に進みこの関口のお地蔵様の前を過ぎ、現在の阿佐ヶ谷駅に繋がっていた。その先が明治時代は阿佐ヶ谷本村の世尊院への道である。関口の地蔵は今でもたくさんのお供え物があり、地元の人々に守られ親しまれているのがわかる。

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舟型光背型の地蔵立像の造立年は元文2年(1737)10月、右側には「武刕多摩郡野方領田端村之内関口講中廿六人」の銘がある。1737年当時は田端村に含まれていたのだろう。堂内の説明書きには、当時関口の女念仏講中26人が毎日の食事から少しずつ削った稗(ヒエ)や粟(アワ)を願主堤平右衛門に預けてお金に換えて貯め、5、6年かかって地元の子供たちの守り本尊として地蔵を建立した、とある。説明板を作ったのは当地の農家の十代目堤氏とあるが、当たりに田畑はもうない。

場所  杉並区成田東4丁目31-12

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