碑文石(目黒区碑文谷)
目黒区の環七内側に碑文谷というところがある。江戸時代は碑文谷村という村で、昭和7年に東京市目黒区に入った。かつては竹林の多い土地で筍が名産であった。民話『すずめのお宿』に因む竹林も古民家と共に残されている。碑文谷八幡神社の西にあるすずめのお宿という区の施設である。旧衾村の栗山家の母屋をに移築復元している。
碑文谷八幡宮はマンションの多い環七沿いからすぐの場所でありながら豊かな樹木が林立している。環七筋が尾根だと以前に書いたが、その尾根から立会川に向かって少し下った斜面上に神社があるので、参道から入ると徐々に上っていく形になる。鎌倉時代の源頼朝の家臣である畠山氏が勧請して創建したと伝えられる古い神社である。
神社の境内にガラスの堂宇に入った「碑文石」がある。これが碑文谷の地名の由来と言われている。碑文を彫った石のある里という意味で碑文谷の地名になったらしい。梵字が刻まれ、自然石の板碑のようなものと考えられる。昔、神社の西側を通っていた鎌倉街道沿いの土中に埋まっていたもので、時代は室町時代とされている。鎌倉街道については下道のルートの一つのようで、代官山猿楽町から目切坂を下り、蛇崩川を渡って葦毛塚を通り、碑文谷池の傍から環七筋に走っていたのが鎌倉古道のひとつであった。
場所 目黒区碑文谷3丁目7-3
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