« 鷺宮5丁目の庚申と地蔵(中野区鷺宮) | トップページ | 交通危除地蔵境内の石仏(中野区白鷺) »

2019年12月30日 (月)

御嶽神社と子育地蔵(中野区鷺宮)

笠の落ちた庚申塔と上半身欠損の地蔵尊の向かいにあるのが御嶽神社。とても小さな神社でまるで屋敷守のように小さい。この神社は武州御嶽神社(青梅)の分社で、鷺宮4丁目(旧地名:中内)と6丁目(旧地名:大境)に住む約30人の講員によって維持管理されている。川崎の梨農家が御嶽神社へお参りする話は知っていたが、この地域にも同じ風習があったのかと驚いた。

P1070371

この御嶽神社の前に地蔵尊がある。地元では「子育地蔵」と呼ばれている。丸彫の地蔵尊は宝暦9年(1759)10月の造立。「武州多摩郡上鷺宮村 施主 大野弥三郎」の銘がある。施主の大野弥三郎は子供が育たないので、祈願してこの地蔵を建立したと伝えられる。

P1070370

そして御嶽神社の方はというと、明治41年(1908)の建立。地蔵よりもずっと新しい。上記御嶽講中によって建てられたわけだが、それには事情があった。御嶽神社は昔から農家の作神様として多くの信者が武蔵野に居た。もとは鷺宮3丁目30番地というから鷺ノ宮駅の少し北側に御嶽神社があった。元亀3年(1572)に地域に悪疫が流行った折、青梅の御嶽神社にお参りしたところ悪疫は収まり、篠源左衛門によって創建されたものである。ところが後に管理されなくなり無くなってしまった。この御嶽神社と上鷺宮2丁目の北原神社は、もとはこの鷺宮3丁目の御嶽神社から講中により分祀されたもので、そっちの方が現在も残っているという訳である。

場所  中野区鷺宮5丁目12-4

|

« 鷺宮5丁目の庚申と地蔵(中野区鷺宮) | トップページ | 交通危除地蔵境内の石仏(中野区白鷺) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 鷺宮5丁目の庚申と地蔵(中野区鷺宮) | トップページ | 交通危除地蔵境内の石仏(中野区白鷺) »