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2019年12月17日 (火)

鉄飛坂庚申塔群[境内](目黒区平町)

帝釈堂内の4基の庚申塔(供養塔)は見事なものだが、小さな境内にある二つの石碑もなかなかのものである。現在の地名は平町(たいらまち)だが、明治時代から大正時代にかけては平という地名、その小字に鉄飛があった。 江戸以前の古道は南北に何本かの鎌倉道があり、その間を六郷田無道が通っていた。またこの辺りでは池上本門寺に向かう池上道も分岐している。

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鉄飛坂の坂下には呑川が流れ、その向こうは寺郷という集落。間の谷筋には田んぼが広がっているというのが大正時代までの様子である。現在は帝釈堂の場所は四辻になっているが、昔は丁字路で南には道が伸びていた。少し南下したところに神社があったようだが、昭和後期以降の地図からは消えている。(神社跡はマンションになっている)

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境内にある二つの石碑の内一つは駒型の見事な庚申塔である。青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている駒型の庚申塔は残念ながら造立年が分からない。目黒区の資料によると港区から移設したとあるが、元の場所は分からない。

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もう一基の石碑は角柱型の庚申塔で道標を兼ねている。正面には「庚申供養塔」と彫られ、左面には「武州荏原郡世田ヶ谷領衾村」とある。また正面には「右ハ目くろミち  左ハ二子の渡し」とあり、右面には「右ハほりの内  左ハ池上 ミち」と書かれている。ほりの内は杉並区の堀ノ内である。この庚申塔は昔はここから東へ200mほどの四辻にあったもの。「切石庚申」と呼ばれていた。

場所  目黒区平町2丁目18-3

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