« 杉並田端村の延命地蔵(杉並区成田西) | トップページ | 宝昌寺境内の石仏(杉並区成田西) »

2019年12月 5日 (木)

宝昌寺門前の地蔵(杉並区成田西)

五日市街道が善福寺川を渡る尾崎橋のたもとに五日市街道の説明板がある。「江戸時代は伊奈道と呼ばれ、秋川谷で焼かれた炭荷を江戸を運ぶルートだった。五日市街道と呼ばれるようになったのは明治になってから。この街道沿いには、高円寺村、馬橋村、和田村、成宗村、田端村、中高井戸村、松庵村があった。」とある。そんな尾崎橋の西側にあるのが宝昌寺、北隣の杉並区立第二小学校との間の細い坂道は三年坂と呼ばれる。

Cimg3254

宝昌寺の門前には屋根の下の二基の地蔵菩薩像がある。明治時代のこの辺りの地名は尾崎、その地名が尾崎橋の名前に残っている。善福寺川の周辺は上流の田端田圃に引続き、尾崎田圃と呼ばれた。この宝昌寺門前の地蔵、右にあるのが月輪のある延命地蔵菩薩。造立は昭和46年(1971)3月と新しいが、再建されたのではないかと思う。

Cimg3255

左の地蔵は正徳3年(1713)10月の造立。こちらは杉並区の指定文化財になっている。「奉建立地蔵講中武州多摩郡中野領成宗村」と台石に書かれている。宝昌寺の開山は文禄3年(1594)で、成宗村の熊野社(宝昌寺の北側にあった)、須賀神社、白山神社を管理する別当寺でもあった。安政3年(1856)に大部分を焼失したが、一部石仏や板碑は残されているようである。

場所  杉並区成田西3丁目3-30

 

|

« 杉並田端村の延命地蔵(杉並区成田西) | トップページ | 宝昌寺境内の石仏(杉並区成田西) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 杉並田端村の延命地蔵(杉並区成田西) | トップページ | 宝昌寺境内の石仏(杉並区成田西) »