中道の庚申塚(世田谷区喜多見)
民家園のすぐ裏を通るのが昔の田渕道、世田谷通りの「二の橋」交差点から分岐して喜多見の知行院脇を抜けるのが筏道、念仏車と地蔵・庚申のあるところで分岐して東名高速下まで繋がっていたのが中道である。江戸時代から明治大正期にかけての喜多見の中心は知行院の周辺であった。現在のような街の様子になったのは昭和に入って小田急線が開通してからで、それまでは筏道周辺が賑わっており、知行院の周辺にはたくさんの商家があった。
そんな中道と、後に出来た水道道路(荒玉水道道路)の辻にあるのが庚申塚。地元では古くから庚申塚と呼ばれているが、庚申なのかどうかは分からない。道路わきの駐車場の塀の下にあり、高さ1尺程度の凹みに石碑がある。現在では書かれた文字もほとんど読めないが、史料によると、「左り ふちう(府中) 八王子」、「右り のぼりと」とあり、「武刕多摩郡…」と書かれているようだ。
かつての筏師たちは喜多見辺りで休むことも多く、道中の安全を祈願感謝して筏道周辺にこういう石仏を置いたと伝えられる。中道も筏道のバイパス的な道であったので、所々に石仏が残っていたのであろう。この石仏についてはほとんど情報はなく、いろいろな想像を掻き立てられる。
場所 世田谷区喜多見5丁目22-8
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