大和町の育英地蔵尊(中野区大和町)
中野区大和町は野方の南、妙正寺川以南で、環七通りを東の境界、早稲田通りを南の境界にした一帯の住居表示。もともとは上沼袋村に属していたエリアである。大和町となったのは昭和に入ってからだが、これもまた「元から住む住民と新たに転入してきた住民とが大きな和をもって発展する町」ということで改名したらしい。残念な改名である。大和町の中心にある大和町八幡神社は上沼袋村の中心にあり、奥州征伐に源義家が祭祀を行った地ということで村人が天喜4年(1056)に八幡社を創建して村の鎮守となった歴史ある神社である。
その八幡神社の参道の隣にあるのが育英(こそだて)地蔵尊と厄除地蔵尊で2棟が並んでいる。育英地蔵尊には大小7基の石仏が祀られている。育英地蔵は中央の最も大きい丸彫地蔵。造立年は延享3年(1746)9月。念仏講供養仏とあるので念仏講中によるもの。武州多摩郡上沼袋村 願主 橋本文左衛門 講中23人とある。
言い伝えでは、子供が大病になった時、夢の中に地蔵が現れ、祈願すれば治ると告げられた。そこでこの地蔵に毎日参詣して祈願したところ全治したという。
左隣の舟形光背型の地蔵立像は、貞享2年(1685)2月の造立。その隣の小型の舟形光背型の地蔵立像は元禄6年(1693)12月のものである。一番左の角柱型の石塔は石橋供養塔で、「上沼袋村大場 石橋講中23人」の銘がある。宝暦年間(1751~1764)のもの。右の3基はどうも新しいもののようだが、かつての上沼袋村でも講が盛んにおこなわれていたことがわかる。
場所 中野区大和町2丁目42-11
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