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2020年1月25日 (土)

お経塚(中野区江古田)

品川駅は品川区ではなく港区にあり、目黒駅は目黒区ではなく品川区にあるのは比較的知られている事だが、江古田駅も江古田にはない。中野区江古田(えごた)は新青梅街道を南端、妙正寺川を北端にした住居表示で、住民は東武東上線の江古田(えこだ)駅は使わない。より近い大江戸線の新江古田(しんえごた)駅を利用する人はいるが、新江古田駅も江古田ではない。もともと江古田村は多摩郡の東端の村だったが、明治以降は合併して野方村になっている。

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お経塚はそんな江古田の真ん中にある。南には現在リニューアル閉館中の中野区立歴史民俗資料館、北には江古田氷川神社がある。お経塚のある場所は、現在は五差路だが昔は三差路で、氷川神社の参道のような位置づけにある。説明板によると、大正時代までは人の背丈ほどの大きな塚があったという。大正期に塚の盛土を整備したら人骨と経筒が出土した。氷川神社の東にある東福寺が焼けた時に経文や過去帳などの灰を埋めて塚を築いたと言われる。

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屋根付きだが半ば吹きさらしの堂宇の右手にあるのが経塚地蔵と言われる舟型の地蔵立像。造立年は元文3年(1738)で「武州多麻郡江古田村 念仏講中」の銘がある。

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左にある小さい石仏は馬頭観音像。造立年は安永15年(1777)と馬頭観音としては相当古い部類に入る。頭上の馬の図柄はしっかりと残っているが、馬頭観音の顔は削れてしまっている。

前述の出土した経筒だが、資料によるとその中身を調べる前にいつの間にか無くなってしまったという。誰も中身を調べたものはおらず、経筒であったという確証はないらしい。一方の人骨は埋められて、この堂宇の下に眠っているそうである。

場所  中野区江古田2丁目14-5

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