がんかけ地蔵尊(中野区野方)
妙正寺川の北のY字路にあるがんかけ地蔵尊。南北に走る道は広い道ではないがバスも走る。この道は江戸時代からある中野村から青梅街道へ繋がる古道。西武新宿線の踏切の庚申塔も、中野囲町北にある辻地蔵もこの道筋である。がんかけ地蔵尊を右(北東)に行くと清谷寺がある。かつては妙正寺川流域の田んぼから台地に上ったところであった。
屋根のある堂内には庚申塔と地蔵尊、屋根の外には二十三夜塔が祀られている。庚申塔は唐破風笠付角柱型の大きなもので、青面金剛像と三猿・二鶏の図柄、「奉造立青面金剛二世安樂」、台石に「願主 矢島久右衛門妻講中31人敬白」とある。また台石には、「右 中村道 左 さぎのみや道」とあり道標を兼ねていた。造立年は享保21年(1736)3月。
右側の丸彫の地蔵尊は、「秩父坂東西国右百箇所奉納為二世安樂也」とあり、「願主 沼袋村 矢島辰右衛門」のほか女性名も多い。造立年は延享元年(1744)9月。右側にある二十三夜塔には逸話がある。土地の事で近隣の揉め事があった時に、御嶽教の祈祷師がいて祈祷によると、昔この場所に二十三夜塔があったが無くなってしまったので再建するようにとお告げがあった。そこで関係者が昭和2年(1926)12月に現在の根府川石の二十三夜塔を建てたということである。
場所 中野区野方3丁目7-1
| 固定リンク
コメント