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2020年1月14日 (火)

辻地蔵(中野区野方)

中野駅の北西のエリアは近年大きな再開発が行われ。警察の敷地だった広大な駅前ゾーンは一部に警察病院と警察署を残すのみとなり、大学等の教育機関と公園になった。江戸時代はお犬様の「御囲い御用屋敷」だったエリアの一部だが、それでも広い。現在の住居表示は中野だが、昭和の中期まで「囲町」という町名だった。そのエリアの北西部分に警察病院がある。警察病院の北側を東西に走るのが早稲田通りで、これより北は野方となる。

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警察病院と野方警察署のある交差点の北西角に1体の地蔵が祀られている。ここは江戸時代から丁字路になっていて、荒井村、上沼袋村、高円寺村、中野村の4つの村の村境だった。そして古くから「辻地蔵」と呼ばれていたが、最近は子育地蔵とも呼ばれているようである。地蔵の右側にある四角い石には東西南北と彫られておりそれが横倒しになっている。左の石柱は道標らしいが、それぞれの面に中野宝仙寺、高田、鷺宮の文字が読めるがここにあったものかどうかは分からない。

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中央の地蔵の右側面には、寛保元年(1741)3月の造立年が刻まれ、願主浄念とある。左には「沼袋村新橋念仏講中」とあるので、新井村の塞ノ神だったのかもしれない。新橋は新井村の小字で、現在の区立平和の森小学校辺り。その北側には明治から昭和にかけて監獄(豊多摩刑務所)があった。しかし監獄は明治以降の話で、江戸時代は下沼袋村枝郷新橋村であった地域。

この辻地蔵については、中野区の資料に興味深い話が載っている。その昔、この角に饅頭屋があり、等身大の地蔵があったが、邪魔だと言って饅頭屋が移動し小さい地蔵に変えてしまったところ、間もなく饅頭屋に不幸が起こり、夢枕に地蔵が立ち「よくもこんな小さな体にしたな」と呪ったので元に戻し丁重に供養したという。

この場所にはかつて庚申塔もあったらしいが、その所在は不明である。

場所  中野区野方1丁目1-1

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