南向地蔵(中野区野方)
野仏は村の入口にあることが多く、いわゆる塞ノ神との関係が深い。中野駅の北、早稲田通り以北、西武新宿線以南の地域は江戸時代は下沼袋村枝郷新橋村であった。枝郷というのは新田開発によって新たにできた村で元の村を元郷とか本郷というのに対して枝郷、枝村とか新田と呼んだもの。南向地蔵はその枝郷であった新橋村の南西にあったものである。
現在は野方第二公園の隣にあるが、実はこの地蔵堂は昔は環七に近い野方2丁目56にあった。交通が激しくなったからと現在の地に移転したのだが、そのいきさつについては「環七の交通安全地蔵」に記した。堂宇の中には2基の石仏があり、左側が庚申塔、右が地蔵立像である。右の地蔵は舟形光背型で子育地蔵とされる。元禄2年(1689)10月の造立で、「為奉造立地蔵尊二世安樂也」とある。
左側の庚申塔は舟型で下部に三猿、その下に二鶏が描かれている。上部には文字のみで、「奉供養庚申安置二世安樂所」とある。造立年は貞享4年(1687)12月。武州多麻郡沼袋村 秋元弥右衛門 道行14人」の銘がある。
場所 中野区野方2丁目24-16
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