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2020年1月20日 (月)

籠原観音(中野区丸山)

野方駅の北、環七丸山陸橋以北のエリアの住居表示が丸山。環七の外側が丸山2丁目で内側が丸山1丁目になる。この辺りの旧地名は籠原という。籠原は南の妙正寺川と北の江古田川(妙正寺川の支流)の間の江古田川寄りの台地である。当時の丸山は籠原の東、現在の江古田4丁目辺りで、旧地名と現住居表示が違ってしまった残念なケース。

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旧籠原地区には中野区立緑野小学校と緑野中学校が南北に並ぶ。緑野小学校は少子化に伴って、丸山・沼袋・野方の3小学校が統合されたもので、緑野という地名は存在しない。中学校の敷地の北西端にある地蔵堂が籠原観音と呼ばれている。現在は堂宇に収まっているが、昔は草むらに点在していたという。緑野中学校は区立第六中・第十一中が統合されたもので、以前ここは第十一中学校であった。その第十一中学校が出来た昭和38年頃にこの一角に堂宇を建てて集めたらしい。(数字の学校名も味気ない)

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堂宇には4基の石仏があるが、2基は姿がない。もともと左側2基は聖観音像、右側から二番目は不動明王であったという。不動明王像は地元の不良中学生が壊してしまったらしい。今頃罰が当たっているかもしれない。左の端には聖観音像の丸彫座像があったようだが、現在はない。左から2番目の舟型座像の聖観音像、そして右端の馬頭観音のみが現存している。

聖観音像は「奉誦光明真言百万遍供養 西国坂東秩父百番順礼供養塔」とあり、寛政10年(1798)11月の造立。願主は隣りの無くなった償還音増の台石と同じで石川七兵衛とある。残された左の台石には、「右 中むら道 左 ほりのうち道」とあるが、これはこの前の道が旧所沢街道だったためである。右端の馬頭観音は、馬兼といわれた人が農耕馬を供養する為に建てたと言われる。

場所  中野区丸山1丁目16-16

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