薬師柳通りの地蔵堂(中野区新井)
早稲田通りから新井薬師へ向かう通りが薬師柳通りである。現在はバス通りだが、この道をまっすぐに進むとやがて新井薬師梅照院の山門に至る。従ってこの道が新井薬師への本来の参道と言えるだろう。江戸時代には早稲田通りの北側を妙正寺川の支流が流れており、現在でも暗渠道が薬師なぎ通りと交差していて、高度経済成長期までは開渠として川が流れていた。
堂宇はなかなか立派なものである。この堂宇、戦災ではなく昭和24年(1949)の火災で焼失したが、昭和29年(1954)に地元の故泉与三郎氏が中心となって再建した。現在も花や折り鶴が飾られており、地蔵会の活動は続いているようである。新井薬師への道標だけではなく、子育てや病気の平癒に御利益のある地蔵尊として親しまれている。
地蔵は丸彫で、造立年は延享3年(1746)10月。「武州多麻郡中野村打越」の銘があり、「これより右 あらい村 梅照院江三丁道」とある。打越というのはこの辺りの古い小字である。打越町の名前は昭和の中頃まで中野駅北口周辺(現在の中野5丁目)が最後まで打越の名を残していた。地蔵は明治の中頃、首が折れてしまったという。よく見ると顎の下に接着した痕跡がある。地蔵は災いを代わりに被ってくれるというから、これで誰かが救われたのではないだろうか。
場所 中野区新井1丁目1-19
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