円融観世音(中野区上高田)
この地蔵は普通の散歩では決して見つからない場所にある。薬師柳通り地蔵尊のところで少し触れた妙正寺川の支流は東流し、大妻中野高校の裏手から早稲田通りの北100m程のところに暗渠として残っている。この暗渠自体歩いてなかなか面白いのだが、いわゆる暗渠本には載っていないようだ。上高田1丁目からは北流して妙正寺川に合流していた。この細流が削ったと思われる崖線が早稲田通りに並ぶ寺院の裏手に残っていて、高低差は数mある。
そんな暗渠のすぐ近くに簡素な堂宇があり、聖観音像が祀られている。舟型の聖観音立像の堂宇には「円融観音」と書かれているが、これは隣りの保善寺の住職による命名らしい。この地に住む宮崎氏が大正時代の初め頃、早稲田通りの近くに住んでいた時、敷地内から発掘された。それをその地で堂宇を建てて祀っていたという。昭和10年に当時の昭和通り(現在の早稲田通り)拡張のため転居を余儀なくされ、聖観音もここに越してきたらしい。
造立年は元禄2年(1689)5月で、融室妙圓禅定尼 旲位とある。旲位(たいい)というのが何を意味するのか私には分からない。手前の三猿は全くの別物だと思われる。妙に白いのでレリーフのように思えた。保善寺は段丘の上にある寺院のうちのひとつで、文禄2年(1593)に牛込に開山、明治39年(1906)に現在の地へ移転した曹洞宗寺院。
場所 中野区上高田1丁目27-16
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