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2020年2月28日 (金)

橋之下橋の地蔵堂(世田谷区砧)

環八外側、世田谷通りの北側は砧、南側は大蔵だが、江戸時代は概ね岡本村。江戸時代にあった世田谷通りは登戸道と呼ばれる細い街道で、地区を隔てるような道ではなかったのでもっともな話である。砧村が登場するのは明治22年の市制町村制の実施からで、最初の数年は神奈川県北多摩郡砧村だった。環八以西は一時期神奈川県だったのである。その砧村も昭和11年の世田谷区への併合で消えた。

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そんな砧村を流れていた川のひとつが谷戸川。水源は祖師ヶ谷大蔵駅の東で品川用水からの取水もあった。NHK技研の裏を回り込み、砧公園の真ん中を流れて岡本で丸子川に合流する、等々力渓谷の上流にあたる。この川の橋のひとつが塔之下橋で、そのたもとに地蔵堂があり3基の石仏が祀られている。

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右にあるのは舟型の聖観音立像。造立年は寛文12年(1671)7月で、「御念仏供養 大蔵村 同行18人」とある。岡本村だったのは江戸時代後期で、前期から中期は大蔵村、横根村などいくつかの変遷がある。中央は地蔵立像(舟型)で享保16年(1731)10月の造立。「奉造立地蔵菩薩 武刕大蔵村東 念仏女講中26人」と銘があるので、この辺りが大蔵村の東という微妙な村域の時代だったのだろうか。

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左は板碑型の庚申塔で、一猿のみという珍しいもの。高さは91㎝あり、寛文11年(1671)8月と庚申塔の中でも古い部類のものである。「奉造立庚申町供養石塔一基一世安楽所」とあり、「武州多摩郡大蔵村」の銘がある。地蔵堂のある少し西北に観音公園という名前の児童公園がある。辺りに観音はないので、この地蔵堂が名前の由来だと思われる。

場所  世田谷区砧4丁目15-1

 

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コメント

トウノシタの意味は3つあるぞうの左のものが「塔」だったのですね。なぜ塔の下というのかずっと不思議でした。

投稿: 名無し | 2020年8月13日 (木) 23時05分

コメントありがとうございます。あくまでも推測の範囲内ですが、おっしゃる通りかと思っています。この周辺で最も標高の高い場所は水道局の大蔵給水所です。その山から下って堂宇の前を通り橋を渡るこの道は少なくとも明治初期には整備されていた道で古い道だと思われます。石塔の下の橋なのでそういう名前になったのでしょうね。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2020年8月14日 (金) 06時26分

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