金井塚の庚申塔(中野区江原町)
金井塚といっても現在はもうない。元々は現在の江原一丁目9番にあった豊島塚のひとつ。豊島塚というのは、文明9年(1477)に江古田の地であった江古田合戦の死者を弔うのに盛った塚で「豊島二百柱」と言われるように相当な数があった。江古田合戦は扇谷上杉家家臣の太田道灌が石神井城主豊島泰経を没落に導いた合戦で、豊島軍の武将たちの遺体を埋めて塚を作った。現在ではもう残っていないが、豊島軍の武将の霊を集めて祀った社が沼袋駅の北、丸山塚公園にある。
この場所は目白通り沿いにある江古田観音堂。ここに数基の石仏が祀られている。左から、丸彫の地蔵菩薩像、板碑型の庚申塔、聖観音立像、不明の像立(金剛夜叉明王かも)、駒型庚申塔、中折れした地蔵菩薩坐像である。丸彫の地蔵は明治17年(1884)の造立。聖観音立像は天保10年(1839)の造立である。
板碑型の庚申塔は大きなもので、三猿のみの図柄。上部には「奉庚申供養諸願成就之所」とあり、造立年は延宝2年(1674)2月。「同行8人 女人8人」とある。下部には蓮葉が描かれている。
もう一つの庚申塔は駒型で、青面金剛・邪鬼・三猿・二鶏の図柄。側面に、宝暦13年(1763)10月の造立年が入る。「奉造立庚申待 願主 江古田村金左衛門 講中28人」とある。かつての金井塚は塚の中央に庚申塔が建てられていたので「庚塚」、または狐がその塚に巣を作って棲んでいたので「狐塚」などと呼ばれたという。江戸時代に江古田村で『おこり』というマラリアに似た病気の神様として有名で遠方からの詣で客もあったようだ。
場所 中野区江原町3丁目12-9
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