松林禅寺の庚申塔(杉並区高井戸東)
京王井の頭線の北側を並行して走るのが井の頭通りと五日市街道、それとわずかに角度を変えて東西に延びるのが人見街道で、杉並の大宮八幡宮と国府のあった府中を結ぶ道。古い順では中世の人見街道、江戸時代初頭の五日市街道、昭和の井の頭通りで、この人見街道に面した高井戸東地区にあるのが松林禅寺。曹洞宗の寺院で、創建は街道が開かれた頃の文禄2年(1593)で当時の寺名は正林寺だった。
江戸時代中期の正徳13年(1713)に周辺に多くの松があったことから松林寺と文字を改めた。その松林寺の山門をくぐり左に回り込むといくつもの石仏が「コ」の字型に並んでいる。ちなみに江戸時代後期はこの地域は上高井戸村だったが、長い江戸時代の間には高井戸東地区は正用村(しょうようむら)だった時代もあり、その古い地名は寺の少し南にある高井戸正用公園という児童公園の名前に残されている。
奥の列の右端にあるのが笠付角柱型の庚申塔。笠が一部欠損している。造立年は延宝2年(1674)9月で、青面金剛像・邪鬼・三猿・二鶏の図柄。青面金剛像の脇に「奉造立青面金剛尊 庚申供養道行16人」とある。ここでは最も古い庚申塔である。左右には合わせて17人の銘があるので1人合わないが、誰かが施主で道行が16人ということか。
奥列のちゅおうにある庚申塔が最も大きなもので高さは115㎝ある。これも笠付角柱型の庚申塔で、青面金剛像・邪鬼・三猿・二鶏の図柄。造立年は天和3年(1683)11月でこれも古い。青面金剛の脇には、「奉造立青面金剛尊 庚申供養道行23人」とある。側面にある名前を数えるとこちらも24人分ある。同じ理由だろう。
左列の奥にも同じ笠付角柱型の庚申塔がある。ただしこの庚申塔はかなり摩滅が進んでいた。青面金剛像・邪鬼・三猿の図柄で、側面には寛政8年(1796)10月の造立年がある。反対側には、「東 江戸道 南 高井戸道 西 府中道 北〇〇〇」とあり、道標も兼ねていた可能性あり。台石には「當村講中世話人 文蔵 紋左衛門」とある。傷みが多いのは岩質のせいだろうか。
左列の一番手前にあるのは道標を兼ねた庚申塚の石塔。中央に「庚申塚 正用村 西向テ なが新田みち」、右には「右 あわしま道」、左には「左 なかのミち」、そして裏面には明治25年(1892)3月の造立年に加え、発起者 直井金太郎の銘がある。なが新田が分からないが、近くでかつて新田と呼ばれていたのは、現在の宮前4丁目(久我山駅の北、井の頭通りの南)で、当時神田川沿いに開発された新田の名前だろうか。
場所 杉並区高井戸東3丁目34-2
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