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2020年3月21日 (土)

荘厳寺の石仏(渋谷区本町)

荘厳寺というよりも幡ヶ谷不動尊の方が名が通っているかもしれない。「そうごんじ」ではなく「しょうごんじ」と読む。門を入ると右斜め前に本堂らしき大きなお堂があるが、こっちが幡ヶ谷不動尊で、荘厳寺の本堂は左手奥にある。当然ながら、第二次大戦の空襲で代々木練兵場に比較的近いこの辺りも完全に焼失してしまい、移築して再建したものである。

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荘厳寺の創建は永禄4年(1561)で、幡ヶ谷不動尊の方は東大和市三光院(東大和市清水4-1132 )から延喜4年(1747)に不動尊を移したもの。幡ヶ谷不動尊はひとまず置いておいて、まっすぐに進みその脇の荘厳寺の山門をくぐる。比較的こじんまりとした境内である。本堂も質素なもの。

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本堂の手前左側でまず目に入るのは彫りの素晴らしい馬頭観音像。年記が無い為、時代は不詳である。三面六臂で頭上に馬頭の姿は小さいながら迫力がある。当然ながら江戸時代のものであろう。

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罵倒観音の右わきにあるのが駒型のようだが一猿(不言猿)の庚申塔である。このタイプは珍しい。上部には「奉庚申供養」とある文字塔だと思ったら下部には見事な不言猿が彫られており、桃が描かれている。造立年は宝永3年(1706)11月。本堂右手には不動明王像もあった。

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少し山門に戻ったところにある燈籠、この常夜燈は古い道標で、嘉永3年(1850)に建てられたものを移設。中段、下段の台石にはびっしりと情報や名前が刻まれている。もとあった場所は環状六号線(山手通り)と甲州街道の交差地点だったようだ。今は高速道路のジャンクションが頭上に覆いかぶさる大きな交差点だが、江戸時代は荷車が往来する程度の辻だったのだろう。甲州街道を拡張する際に荘厳寺に移された。

場所  渋谷区本町2丁目44-3

<追記>

【荘厳寺の智阿地蔵】

三吉朋十氏の書籍より

山門から本堂に向かう参道の左手に堂宇があり丸彫の地蔵菩薩立像が祀られている。台石には「智阿学夢童子」とあり、造立年である昭和4年(1929)4月23日の日付が刻まれている。

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裏面には「俗名諸沢知也十一才  石工高橋政吉‥」とある。当時、前の通りを不動通りと呼んだ。縁日の夜などはたいそう賑わったという。その頃甲州街道に沿って石の柱が立っていた。道路を拡幅するのにこれを移設することになり、仮置き場として荘厳寺の門前に置かれていた。大勢の子供たちが集まって遊んでいた時に、運悪く11才の知也ちゃんが石の下敷きになって押しつぶされ亡くなってしまった。近所の人々が気の毒に思い、石工に地蔵を彫らせて安置したのがこの智阿地蔵だという。いささか悲しい話である。

追記  2022/6/19

 

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