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2020年3月18日 (水)

清岸寺の石仏【2】(渋谷区幡ヶ谷)

清岸寺の石仏の続きである。一猿の板碑型庚申塔の左に並ぶのが六地蔵。そのさらに左にはあどけない童子像たちがいくつも並んでさながら保育園のようである。六地蔵の年代はよく分からない。ただ清岸寺の六地蔵はそれぞれに個性があるので面白い。オリジナリティのある石工が造ったのだろうか。

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六地蔵の前にある桜の大木のたもとに丸彫の地蔵立像と地蔵座像が並んでいる。この並びもまた面白い。左側にある地蔵立像のほうは元禄9年(1696)3月の日付が彫られている。下部の丸い台石も割と珍しい。その下には蓮葉の土台がある。

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右側の地蔵座像の土台は丸石と角柱の組み合わせである。座像の方は享保5年(1720)3月とある。どちらも江戸時代最盛期のものである。この二つの地蔵を見ながら右へターンすると、正面に本堂、右に六角堂の浄霊殿(これは実は納骨堂らしい)がある。本堂に向かって左側にあるのが魚籃観音である。

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魚籃観音は滅多に見られない。港区の魚籃坂にある魚籃寺が有名だが、直接見られるのはさらにレアだろう。渋谷区で魚籃観音があるのはここだけらしい。魚籃観音は妙齢の美女だが手には魚籠をもっていて一尾の魚が入っている。戦災の被害なのか中折れして継いだ跡があるが、姿形そのものが魅力的に感じられた。

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魚籃観音の向かい側には酒呑地蔵尊という地蔵がある。説明板によると、宝永5年(1708)に造立、別名を子育地蔵という。昔、四谷伝馬町に住む中村瀬平という若者が故あって幡ヶ谷村の農家に奉公していた。彼の勤勉さに好意をもった村人たちが彼の31歳の正月に招いてご馳走をしたところ、普段酒など飲まなかった彼は泥酔して川に落ちて死んでしまった。村人の夢枕に現れた瀬平が酒で苦労する人のために地蔵を造ってほしいと願うので、村人たちはこの地蔵を建立し酒呑地蔵として大切に祀ってきたという。

元々、渋谷区本町5丁目39の地蔵橋のたもとの堂宇内にあったが、ごく最近の平成23年(2011)1月に清岸寺に移された。その前年に地蔵橋の前の区立本町小学校が統合により消え、小中一貫校の渋谷本町学園に変わった。

場所   渋谷区幡ヶ谷2丁目36

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