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2020年3月15日 (日)

牛窪地蔵尊(渋谷区幡ヶ谷)

京王線の幡ヶ谷と笹塚の間にある牛窪地蔵尊は街の境目に立地している。厳密には地蔵尊の祀られている奥の建築物は渋谷区幡ヶ谷1丁目だが、甲州街道から地蔵堂の前までのタイルの部分は渋谷区笹塚1丁目である。ここでは道路に接している部分として渋谷区幡ヶ谷とした。なぜそばの中野通りではなくこのような場所に町境があるのか不思議だが、実はこの町境は大正時代以前は小さな川だったのである。京王線が開通した大正時代、この辺りはその沢に沿って水田が広がっていた。沢は北に流れて中幡庚申塔のあたりで神田川笹塚支流に合流していた。

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甲州街道から見ると数mほどタイル張りの参道があって、その奥にモダンなデザインの地蔵堂が立っている。牛窪地蔵尊が建てられたのは、正徳元年(1711)10月。以前この場所は極悪人の刑場だった。牛を使って最も残酷な牛裂きの刑という両足から股を引き裂く酷刑場の地で窪地あったことから牛窪の名が付いた。

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宝永年間(1704~1711)から正徳年間(1711~1716)にかけて周辺に疫病が流行し、これが罪人の霊の祟りだと言われ、身代わり地蔵尊としてここに牛窪地蔵が建てれらたという。なかなか物騒な話である。地蔵が中折れしているのは戦災によるものかもしれないが、修復されて今も大切に祀られている。地蔵本体の高さは148㎝ほど、「武刕豊嶋郡江戸 畑谷村」とあるがこれは幡ヶ谷村の意味。

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地蔵の手前、笹塚側に並ぶのは左から、供養塔、庚申塔、道供養塔。左の供養塔は「大乗妙典六十六部成就供養處」とあり法華経の供養塔、享保9年(1724)の造立。中央の庚申塔は、青面金剛、邪鬼、三猿、二鶏の図柄で、これも享保9年(1724)11月の造立である。「奉造立庚申供養講中14人為二世安楽、幡ヶ谷村」とある。

右の道供養塔の造立は文化3年(1806)11月と後の時代になる。この道供養塔は道祖神や地蔵尊とは異なり道そのものを供養し安全を祈願するもので、民間信仰の進化の形と言えるかもしれない。中野通りを南に進むと駒場道(鎌倉街道)の一部となる。江戸時代には東西の甲州街道が開けたが、それ以前は南北の鎌倉道が主要道だった。

場所  渋谷区幡ヶ谷1丁目10-7

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