林稲荷神社の庚申塔(練馬区豊玉北)
妙正寺川支流江古田川が削った豊玉北の低地から微妙な河岸段丘を登ったところに林稲荷がある。南北に微崖線が走っていて標高差が5mほどある。林稲荷の境内はこの段丘を現在も感じられる地形にある。一方、林稲荷の南側には村境になっていて、北側(含む稲荷)が中荒井村、南側が江古田村だった。現在でも、林稲荷は練馬区豊玉北だが、南の路地を挟んだ区域は中野区江原町で、現在の区境になっている。
林稲荷のあるところは江戸時代は村境であったが、同時にこの周辺は将軍家の直轄地(天領)で「御林(おはやし)」と呼ばれた。ある夏、干ばつが続き住民が困窮の末、ついに御林の樹木を伐採しそれを売って生き延びた。管理を任されていた百姓仁左衛門は制裁すべきかどうか困っていたところ、夢枕に稲荷の祭神(宇気母知命:うけもちのみこと)が現れ、湧水の出場所を教えてくれた。仁左衛門は村人を集めて台地に穴を掘ると水が湧き出してきて、灌漑用水の心配がなくなったという。そこに神社を建てたのが林稲荷で、創建は寛文年間(1661~1673)である。
稲荷の前に聖観音立像と庚申塔が祀られている。聖観音像は年代等が良く見えず不詳だが、庚申塔は区の有形民俗文化財に指定されているもの。下部に三猿が描かれているだけのシンプルな角柱型で、上部には「奉造立庚申供養諸願成就処」とあり、造立年寛文3年(1663)10月と刻まれている。
聖観音の左、庚申塔の右の両脇に風化著しい馬頭観音がある。右の馬頭観音は全く何も読めないが、なぜ馬頭観音である旨、資料に書かれているのかが分からない。左の馬頭観音はかなり破損と摩滅が進んでいるが、練馬区の資料によると明治19年(1886)と書かれているらしい。
場所 練馬区豊玉北1丁目7
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