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2020年4月 1日 (水)

路傍の小地蔵(練馬区旭丘)

上板橋の千川通りを越えて北に向かうと、練馬総合病院の手前に小さな堂宇がある。千川通りはかつての千川用水の跡、もとは用水路と道が平行していたものを広い車道の道に作り替えてある。明治・大正・昭和戦前期のそれぞれの地図にはこの道から少しだけ北に入ったところに石塔の地図記号があり、その場所を追うと現在もこの小さな地蔵堂が見つかった。

Dscn1652

ブロックを組み上げただけのシンプルな堂宇だが、昔はどうだったのだろう。近づいてしゃがんで中を覗き込むと、花やいろいろな飾りが巻いてあって彫られた文字がなかなか読めない。唯一読めたカギになる文字が「癸亥(みずのとい)」であった。

Dscn1657

江戸時代の癸亥の年を調べてみると、文久3年(1863)、享和3年(1803)、寛保3年(1743)、天和3年(1683)、玄和9年(1623)の5回だが、年号制だと4つが3年という驚くべき偶然。石の具合から考えて文久、享和、寛保のどれかだろうと思われる。しかし練馬区の資料にもまったく触れられていない。それなのに過去の地図には載っているという不思議が何とも言えない。

場所  練馬区旭丘1丁目12-6

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