清岸寺の石仏【1】(渋谷区幡ヶ谷)
参道の直線の坂道を上ると広い境内に出る。向かって右手から奥にかけて墓所が広がっている。左に直角に曲がると本堂がある。正面には六角の浄霊殿があり、面白い境内の造りである。右の墓所の手前に石碑や石仏が集められている。
まず目に入ったのは一猿の半跏像の庚申塔である。これは極めて珍しいもの。猿の姿がまるで赤児のような形をしている。板碑型だから古いものとアタリをつけて刻字を見ると、造立編は万治3年(1660)11月とあった。初期型である。庚申塔の並びには手前に六地蔵があり、後ろに石仏が並ぶ。
すぐ左隣にあるのが舟型光背型の地蔵立像。「丁巳干時表応元季 武州万念仏供養」とある。また「霜月十五 代々木同行14人」とあるので、造立年は他の石仏の時代に近いとすれば寛文7年(1667)か享保12年(1727)のどちらかであろう。
その左には舟形光背型の地蔵立像、念仏供養塔がある。「為念仏諸衆二世安楽逆修菩提也」とあり、造立年は延宝5年(1677)11月。「武州豊嶋郡畑ヶ谷村」とある。
更にその左には小さな地蔵群と、その脇に延享4年(1747)11月造立の丸彫の地蔵立像がある。これは台石に六十六部供養塔とあるので、当時誰かが巡礼の成就記念に建てたものであろう。清岸寺には多くの石仏があり、一度には紹介しきれないので、別途ご紹介したい。
場所 渋谷区幡ヶ谷2丁目36
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