田端神社の庚申塔(杉並区荻窪)
田端神社は杉並区荻窪1丁目にあり善福寺川の左岸になる。都内の神社の多くは鎌倉から室町にかけての創建が多いが、田端神社も応永年間(1394~1427)に、足利氏と上杉氏が戦った時、ある家臣が土着して京都の北野神社の分霊を祀って天満宮を創建したのが元。明治42年(1909)に周辺にあった天祖神社、稲荷社、子の権現、山神社を合祀して田端神社とした。
この辺りは江戸時代末期から明治にかけては下荻窪村だったが、その前は田端村と呼ばれていた。その名残で善福寺川流域の広い水田地帯は田端田圃と昭和の初めまで呼ばれていたという。
田端神社のまっすぐな参道の脇にある石仏群はおそらく明治末期に神社が統合されたとき以降に村内の各地から移されたものではないかと思う。上の写真の2基の庚申塔は荻窪1-51-10からの移設。その場所は現在民家になっているが、かつては田端田圃に降りる台地の端であった。田んぼと神社の間の境目にあったものである。
右の駒型の庚申塔は享保3年(1718)10月の造立。青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏の図柄である。下部に「講中16人 田端村 成宗村 願主 武井小左衛門」とあるので、田端村と成宗村の農民が深いつながりを持っていたようだ。左の笠付角柱型の庚申塔は古く、延宝6年(1677)12月の造立。「たはた村」とあり、11人の願主名がある。
近くにある3基の石仏は荻窪3-44-19から移設されたもの。これはずっと北の方になり、ほぼ青梅街道近く、現在の杉並区中央図書館の南東になる。かつて田端本村と呼ばれていた田端村の中心地である。この3基は近年の移設のようだ。
右端は上部が折れた後補修された地蔵菩薩立像で、文化年間(1804~1818)の造立。欠損で年数が見えない。「念佛供養」とあり、「女講中16人」とある。中央は駒型の庚申塔で、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。造立年は享保6年(1721)10月で、「武列多摩郡田端村 中嶋七左衛門 道行11人」の銘がある。左の地蔵菩薩立像は寛政10年(1798)11月の造立。「武州多摩郡田端村 女講中 15人」と書かれている。
場所 杉並区荻窪1丁目56-10
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