消えた?遍照寺の石仏(板橋区仲宿)
下板橋宿の中心である仲宿には江戸時代、遍照寺と乗蓮寺があった。北東側が遍照寺で向いが乗蓮寺。 浄蓮寺は首都高速道路と国道17号の拡幅工事のために昭和48年(1973)に移転を余儀なくされ、現在は板橋区赤塚で大きな寺となっており、東京大仏も乗蓮寺の仏様である。いっぽうの遍照寺は区内唯一の天台宗の寺院だったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまった。その後、明治14年に成田山新栄講の道場となり、昭和22年にようやく寺院として復活し、成田山新勝寺の末寺となった。
しかし数年前から敷地のみで本堂もなくなってしまい、門柱だけがさみしく遍照寺を名乗る状態になっていた。上の写真は2020年のもので、参道が整備されたようだが、参道にあった石仏はすべて無くなってしまった。どこに保存されているのか、はたまた打ち捨てられてしまったのか、いささか心配である。今年訪れてみたら、道場っぽい建物が新築されていたが、石仏は一つも見つからなかった。
建物が無くなってもしばらくの間石仏は放置されていた。上の左側にあるのは笠欠の角柱型庚申塔で三猿の図柄。右に落ちているのが本来の笠である。造立年は宝永6年(1709)7月。後ろの上部が欠損した舟型の庚申塔は三猿と蓮葉の図柄で初期型、造立年は寛文8年(1668)1月とある。デザインも希少で江戸時代の初期を彷彿とさせるものであった。
庚申塔の左には馬頭観音が3基並ぶ。右の角柱陰刻の石仏は笠が落ちてしまっていたが、珍しい陰刻の馬頭観音立像で、造立は寛政10年(1798)12月。「当宿 平尾 馬持中 山中」の銘がある。後ろの四角い自然石も馬頭観音で、こちらは大正2年(1913)8月と新しい。しかし大正時代もまだ馬が活躍していた時代だった。手前の角柱型の馬頭観音は大正12年(1923)9月のもの。 江戸時代から仲宿のこの遍照寺には馬繋ぎ場があり、幕府の伝馬につかう囲馬、公文書伝達用の立馬、に加えて普通の馬の繋ぎ場もあったという。
場所 板橋区仲宿40-7
| 固定リンク
コメント
佐野様、
こちらでも情報をありがとうございます。建物だけはきれいになっていたので、少しだけ期待していたのですが、とてもうれしい事であります。また再訪したいと思います。ありがとうございました。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2021年6月 6日 (日) 13時33分
戻ってきています。しかも、きれいに修復されています。
投稿: 佐野 | 2021年6月 6日 (日) 11時20分