福泉寺墓所の地蔵(杉並区高円寺北)
阿佐ヶ谷駅の東側、高円寺駅との間は旧地名では馬橋と呼ばれたエリア。現在杉並学院高校があるがその南側の道は昭和中期までは桃園川の開渠だったが現在は完全な暗渠になっている。桃園川には阿佐ヶ谷川という支流があり、荻窪駅付近から現在の阿佐ヶ谷駅を東に向かって流れていた。阿佐ヶ谷駅前からこのエリアは現在でも大雨が降ると冠水する。川が合流する周辺は当然ながら水田として適した土地であり、かつては馬橋田圃という水田が広がっていたが、大正時代頃から開発が進んで田んぼは無くなった。
そんな路地裏に広い墓所がある。門柱に福昌寺跡墓地とあり鉄格子扉は施錠されていた。江戸時代、ここ馬橋では馬橋稲荷神社の別当寺として福昌寺があった。馬橋村の西に在り、阿佐谷村に接する土地で、福昌寺は寛永年間(1624~1644)の創建らしい。しかし廃仏毀釈の折、明治7年(1874)に中野宝仙寺に吸収された。しかし墓所だけは現在もまだ残っているという訳である。
墓所の門から近いところに地蔵が2体並んでいる。左の地蔵は大正3年(1914)5月の建立で、豊多摩郡杉並村字馬橋の銘がある。右の地蔵は10頭身のスタイルの良い地蔵。寛政元年(1789)10月の造立とかなり古い。武刕多摩郡野方領馬橋村の銘がある。光明真言供養とあり、馬橋村の女念仏講中によるものである。墓所にはこの他元治2年(1865)の馬頭観音もあるらしいが施錠されており確認できなかった。
場所 杉並区高円寺北4丁目8
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