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2020年4月 8日 (水)

阿佐谷庚申堂(杉並区阿佐谷北)

早稲田通り沿いにある堂宇。堂宇で早稲田通りから斜めに分岐する道と早稲田通りの間にある。この分岐点は江戸時代からあった分岐点で、路地の方の道は天沼村へ抜け青梅街道に出る。現在の早稲田通りも江戸時代からの道筋で長命寺道あるいは新高野道と呼ばれ、妙正寺川を渡り下井草村に向かう道であった。辻の南側一帯はお伊勢の森と呼ばれ神明宮の鎮守の森だった。すぐ東側には捨て場と呼ばれた家畜の死骸の捨場があり、そこにあった馬頭観音が現在世尊院墓地にある立派な馬頭観音である。

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お伊勢の森というものの、実は神明宮とお伊勢の森の間には桃園川が流れ水田地帯があった。おそらくはその北東側に森が広がっていたのではないだろうか。明治初期の地図には楢林の記述があるので、どんぐりの豊かな森だったのだろう。堂宇は阿佐谷庚申堂というものの、庚申塔は1基しかない。多数決でいうと地蔵堂(地蔵2基、庚申塔1基、阿弥陀如来1基、供養塔1基)。

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右から紹介すると、まずは舟型の阿弥陀如来立像。造立年は正徳5年(1715)9月で、「奉造立阿弥陀佛像念佛講成就所 願主 村主六左衛門 講同行19人」とある。その左隣は舟型の地蔵菩薩立像。享保7年(1722)10月の造立で、「奉造立地蔵墓猿二世安楽所」とある。また「武刕多麻郡阿佐ヶ谷村」の銘があり、「願主 益田杢右衛門 講中26人」とある。

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三番目にあるのが笠付角柱型の庚申塔で、青面金剛像に三猿の図柄で、邪鬼はよく分からない。「奉造立庚申供養 一基二世安楽所 武刕阿佐ヶ谷」と書かれている。側面には蓮花模様があった。その左隣は舟型の地蔵菩薩立像。宝永7年(1710)10月のもので、「奉供養地蔵菩薩一基為菩提也 武刕多摩郡阿佐ヶ谷村 願主 村主六左衛門 同行15人」とある。一番右の阿弥陀如来と同じ願主である。左手前に小さな自然石の石碑があるが、正面には「供養塔」とだけありそれ以外は不詳。この堂宇の建設時に立てたものだろうか。

場所  杉並区阿佐谷北5丁目42-1

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