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2020年4月13日 (月)

天沼の民間信仰石塔(杉並区天沼)

天沼1丁目の一角に民間信仰の石塔が集められている。庚申塔が2基、地蔵が1基、供養塔が2基でいずれも大型で見事なものである。この場所はちょっと不思議な道路地形をしており、南側に数十mだけ広い道があり、その道の北の端に児童遊園っぽく小さな広場がありその一角にこれらの石塔が祀られている。周辺は桃園川の源流域。水源のひとつは天沼弁天池公園(人工)辺り。そこから流れる桃園川はこの民間信仰石塔の少し南を流れていた。暗渠化されたのは高度経済成長期、そんなに昔のことではない。

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これらの石仏は耕地整理の際にここに集められたもので、庚申塔は桃園川の川辺の路傍にあり、地蔵と供養塔は300m程西にある熊野神社の近くの路傍にあったものをここに移設したもの。移設したのは昭和13年(1938)だという。左の屋根の下には庚申塔、右はその他の石塔が入っている。この辺りは昔、檪山(くぬぎやま)と呼ばれ、伝承では越前朝倉家の一族が土着して開墾したとあり、「くぬぎやまの朝倉氏」は近村にも知られた存在だったという。かつての武蔵野だったころは樹林で薪炭を作っていたようだ。

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庚申塔の左側、唐破風笠付の角柱型で屋根の擬宝珠も残っている。青面金剛像に二鶏、邪鬼、三猿が描かれており、正面には「奉造立庚申供養二世安樂所」「武刕多麻郡天沼村 講中14人」とある。造立年は元文5年(1740)10月。右側の庚申塔も唐破風笠付角柱型で、こちらは青面金剛像に三猿の図柄。「奉造立庚申供養石塔一基二世安樂処」とある。造立年は宝永元年(1704)9月、富士山宝永大噴火の3年前。

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右の3基は、左から坂東秩父西国百番供養塔。造立年は宝暦9年(1759)10月で「武列多摩郡天沼村」の銘がある。中央は地蔵菩薩立像(舟型)で享保15年(1730)10月の造立。これも「武列多摩郡天沼村」とある。右は、光明真言と西国坂東秩父百番供養を兼ねたもので、享和3年(1803)10月の造立。百番観音信仰は江戸時代に庶民に広まったもので、関東地方では西国・坂東・秩父の百箇所霊場の巡拝が流行、巡拝記念あるいはそれと同等の御利益を得るために百番観音供養塔が各地に建立された。

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