本町子育地蔵尊・猿田彦大神庚申(豊島区池袋本町)
谷端川沿いにあった金井窪という地名は、山手通りの交差点名に残っている。頭上に二階建ての首都高速道路が走る金井窪交差点は道幅が広く、信号がなかなか青にならない。熊野町側から山手通りを渡るとすぐに谷端川の暗渠に差し掛かる。板橋区と豊島区の区境は山手通りではなく矢端川暗渠であるが、山手通りと谷端川の間のエリアは板橋区の飛地のように思える。
この金井窪から東に進むと谷端川の河岸段丘を上る、はずなのだが現在は耕地整理で均されていて高低差はほとんどない。しかし明治時代は3m程の落差があったようだ。その河岸段丘のあたりに立てられているのがこの地蔵堂である。扁額には「池袋本町庚申子育地蔵尊」とある。堂内には左に丸彫の地蔵尊、右に文字塔の庚申塔がある。
子育地蔵は江戸時代からあったが、戦災で台座を残して焼損してしまった。そのため現在の地蔵は戦後作られたものだが、地元の方々の気持ちは何百年も続いておりこれからも大切にしたい地蔵尊である。地蔵尊の脇、右側には万年筆のペン先のような尖った庚申塔が立っている。
板石型で造立年等は分からない。「庚申」とだけ大きく彫られている。江戸時代からこの辺りにはこれとは異なる庚申塔があったらしい。その庚申塔は青面金剛像に三猿の図柄だったというが、その庚申塔もまた戦災で破壊消失してしまったそうである。したがって子育地蔵尊と同じような経緯で再建されたものだろう。
場所 豊島区池袋本町2丁目36-4
| 固定リンク
コメント