世尊院墓所の石仏【2】(杉並区阿佐谷北)
世尊院墓所には沢山の石仏があるので多少割愛したい。現在の阿佐ヶ谷駅周辺は南北に中杉通りが貫いているが、昔はパールセンター(アーケード商店街)が鎌倉街道だった。阿佐ヶ谷駅から北は松山通りと呼ばれ、世尊院の南から東へ分岐していたのは堀ノ内道。古くから阿佐ヶ谷駅は交通の要衝だったのである。それゆえにここに宝仙寺が起こり、世尊院が残されたのであろう。
そんな交通の要衝だから馬頭観音は当然あるべきで、ここの馬頭観音はひときわ立派なものである。罵倒観音の造立年は天保11年(1840)2月。しかしこの馬頭観音は阿佐谷6丁目86より移設されたもの。その場所は蓮華寺に近く、現在の早稲田通り沿いだったようだ。
上の写真は地蔵菩薩2体と庚申塔である。庚申塔は駒型で青面金剛・邪鬼・三猿・一鶏の図柄、右側には「奉供養庚申講中為二世安楽也講中18人」とあり、左側には造立年と「武刕多摩郡阿佐ヶ谷村願主朝倉与兵衛」の銘がある。造立年は享保7年(1722)11月である。真ん中の小さな地蔵は享保3年(1718)10月のもので、「阿佐谷村」の銘がある。左の丸彫地蔵尊は享保6年(1721)8月の造立で、地蔵は両方ともかなり風化が進んでいる。
こちらの地蔵は天明2年(1782)10月の造立で、「阿佐ヶ谷村向女念仏講中」とある。ただし台石には、「願主大野又七母 嘉永4年(1851)9月再建」とあるので、江戸時代末期のものだろう。元々は阿佐谷1丁目70にあったという記録があるが、この旧住所が古い地図でも見当たらない。もし700番前後ならば今の杉並区役所辺りになる。
場所 杉並区阿佐谷北1丁目26-6
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