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2020年4月16日 (木)

経堂福昌寺の石仏(世田谷区経堂)

小田急線の経堂駅近く、「経堂」というのは大寺院の伽藍などでお経を保管したお堂のことを言うのだが、それが地名になったのはこの福昌寺に縁がある。創建は寛延元年(1624)説と寛延3年(1626)説があるが、江戸時代初期である。江戸時代まではこの辺りは経堂在家村と呼ばれ、中国から帰化した松原土佐守弥右衛門という幕府お抱えの医師がこの福昌寺を開いたという。その松原弥右衛門は多くの書物を所有しており、屋敷内に福昌寺を建てるとともに書物を保管する建物もありそれが経堂と呼ばれていたという説がある。

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喧騒の街から境内に入るとすぐ右側に板碑型の供養塔がある。造立年は万治3年(1660)2月。「南無阿弥陀仏」と中央にあり、「奉納念仏供養 為即身菩提也」と書かれている。右側に並ぶのは墓石で、元禄4年(1691)のもの。

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境内中央あたりには堂宇に祀られた馬頭観音がある。慶応3年(1867)2月の造立でほぼ明治維新直前のものである。中折れしているが、馬頭座像は三面六臂の見事なもので、上部の馬頭もよく分かる。

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もう一つ堂宇に守られているのが笠付角柱型の庚申塔。青面金剛像のみの図柄だが、左右には多くの願主名があり、経堂在家村の銘がある。造立年は元禄4年(1691)8月で「奉修庚申供養」とある。台石には「菅刈庚申塔」とあるがこれは後に造られたもののように見える。菅刈というのは諸説あるが、古代から中世にかけての世田谷区と目黒区の一部が菅刈荘という荘園だったことに由来する。狭義の菅刈は経堂と千歳船橋の間にある地域を指す。

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境内の奥には寛延3年(1750)春造立の供養塔がある。これは「法華読誦 托鉢檀施 供養塔」とあり、三界万霊供養塔らしい。左面下部には、横根村中、船橋村中、宮坂村中、経堂在家村中とあるので、福昌寺の檀家はかなり広い範囲だったのだろう。

場所  世田谷区経堂1丁目22-1

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