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2020年5月26日 (火)

海蔵寺身禄行者の墓(文京区向丘)

今回はちょっと変わり種。庚申塔でも地蔵でもその他石仏でもない。日光街道から少し千駄木方面に路地裏を入った一角に海蔵寺がある。曹洞宗の寺院で天文年間(1532~1554)に現在の丸の内脇の和田蔵門内に創建。その後明暦年間(1655~1657)に文京区向丘に移転した。この寺院でもっとも有名なのが身禄行者の墓である。

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日本人なら誰でも知っている富士山。江戸時代の人々はこの山が噴火をしたのを経験している。上の写真は高尾山の奥、一丁平からの富士の眺め。左の裾の出っ張りが宝永火口で、1707年に山容を変える大噴火を起こした。300年前だが地学的にはつい今しがたの事である。噴火の前後関係なく、江戸時代には富士講が流行っていた。その富士講の中でもっとも有名な行者が食行身禄(身禄行者)である。伊勢の出身で、享保18年(1733)63歳の時に吉田口八合目の烏帽子岩で断食行を行いそのまま入定(にゅうじょう=密教で修業をしながらそのまま即身仏となること)した。

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現在も多くの富士講の遺産として、あちこちに富士が築かれている。身禄行者の墓も同じような溶岩でできた山になっている。海蔵寺のこの墓に眠るのは身禄行者の分骨らしい。 江戸で爆発的な流行を示した富士講、始まったのは戦国時代という。江戸時代中期には身禄行者や村上光清によって広がったが、村上が上層階級に支持されたのに対して、身禄行者は江戸の庶民に絶大な人気を誇ったという。

場所  文京区向丘2丁目25-11

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